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こんにちは。


このブログ企画のおおとりを飾らせていただきます、リャンです。
自分でブログの順序を決めてなんですが、、、完全に失敗したなと後悔してます。
他のスタッフによる話題満載のネタ、昨日のりょうたのクソみたいなブログの流れで日曜日の夜、「明日から平日でブログなんて読んでいる暇なんてないよ」と非常にネガティヴな声を想像しながら、一体全体なんのテーマを書こうか今この瞬間も考えています。

ここはドストレート勝負でいきます。

今までサッカーやっててよかったな!と思った瞬間はたくさんありますが、特に印象深い出来事やエピソードを絞ってお伝えしたいと思います。

◗サッカーやってて良かった!その1→色々な国へ行けたことです。
高校時代の遠征でいったアルゼンチン始め20代後半で安定を捨ててバックパックと少しの所持金を握りしめ飛び立ったオーストラリア、アメリカ、南アフリカ、ドイツ、インドネシア、カンボジア、タイ、マレーシア、ご存じドイツ、ベルギー、オランダ、スペイン、フランス、ポルトガル、イギリス、オーストリア、アイスランド・・・etc


人生に明確な目標も見つからずにそれでも何かを変えたいと思い行動に移したオーストラリア、初めて海外で生活に大きな不安と将来への心配を抱えながらのスタートで一度サッカーから離れてみようと考えてましたが、渡航3か月後に所持金のほとんどが底をつきかけた時、やはり自分を救ってくれたのがサッカーでした。

公園などのストリートサッカーを通じてできた友達に教えてもらった地元工場での仕事情報、新聞を見て探したサッカークラブで、初めて選手としてお給料をいただいたこと。

英語も当時まったく話せず学校へなんて高くてとてもいけない中、サッカーで知り合った仲間に会話の中で勉強させてもらいました。

オーストラリア時代(州リーグ)
プレミアチックのお洒落なスタジアムでプレー
当時住んでいた場所より徒歩圏内にこんな場所が・・・

◗サッカーやってて良かった!その2→たくさんの人たちと出会えたことです。

今も昔も交友関係はあまり広いほうではなく敵も多くつくってしまうことが特技の私ですが(笑)、1月にFC.GLAUNAで行った韓国遠征の現地をオーガナイズしてくれたスンファ(釜山アイパーク)や年明けにふらっときたジモン(現マインツU23)始め、グラーナの子供たちなどたくさんの人たちと知り合うことが出来ています。

サッカーをしていなかったら・・・たぶん友達0なんじゃないかなと素直に思います(笑)

1年のオーストラリア生活から日本へ帰国する道中に寄った東南アジア、まだまだ自分の語学や経験値に疑問と物足りなさを感じていた中で、経済的には日本と比べても貧しい国々で出会った人々にも大きな影響をいただきました。

特にアンコールワットで有名な都市シェムリアップに行ったとき、たまたま通りがかった小学校に突撃訪問し、カンボジア語の訳のわからない授業を一緒に受けさせてもらい、裸足でサッカーをした子どもたちの表情で印象深かったのは、真っすぐでキラキラした目でした。

この時に
「お金の多さ=幸わせ」ってのは大きな間違いだと気付かせていただきました。

こんなことを考えるキッカケをいただいたこの子たちや学校の先生に、機会があればもう一度会いに行ってみたいです。(もちろん大量のサッカーグッズをもって)

そんなこんなで自分にはやっぱりサッカーしかないなと思った次の行き先に選んだドイツ。
当たり前ですが相変わらず異国で生活することの大変さも痛感しながらも、大好きなものを追求するという明確な目標をもって渡った国でしたので、たくさんの同志とのめぐり逢いがありました。

カンボジアの小学生と
カンボジア語での授業
40℃を超える炎天下の中、自転車を12時間漕ぎまくったアンコールワット


◗サッカーやってて良かった!その3→好きなことを徹底的に追及することで得られる経験です。


最近思うことは、若いうちにたくさんの非日常体験や苦労をどれだけするかで人生決まるんじゃないかな?ということです。


その代表例は「根拠のない自信」です。

科学的根拠はもちろんありませんが、人はやる前にあれこれ最悪の事態を想定し過ぎて結果行動に移せない習慣があると思いますが、腹をくくって決めたことをチャレンジしたときは、不思議と心配していたようにはならず(ギリギリな状態になるかもしれないが)最終的には自分に大きなモノをもたらしてくれたということです。


保証されている将来なんてつまらない。


これはコーチという職業をする上で軸となっている部分の1つで、現在グラーナでサッカーで高みを目指す子供たちや保護者さんとお話しさせていただく中でも、一歩踏み出すことの大切さをわかりながらも中々踏み出す勇気がない姿を見ると、自分の経験がフラッシュバックしてきて、だからこそリスクを背負ってチャレンジしてほしいなと自信をもって促すことが出来るんだと思います。


他人に自分の価値観を押し付けることはしませんが、リスクを背負ってチャレンジする道を僕は子供たちに心からお勧めします。


もちろん将来の責任は取れませんが、ダメだったらその時考えればいいんです。


そのこと自体が、もう成長の証でないかと思うのはぼくだけでしょうか?


◗サッカーやってて良かった!その4→スポーツが人生を豊かにするということです。


人によって幸せの定義は違うと思いますが、上記3つにあるように既にサッカーをしていることで日々の生活が素敵なものになっています。


今でこそ笑い話に出来ますが、グラーナが始まるほんの数年前は


・いい年ぶっこいた30過ぎのおっさん
・学歴なし
・貯金なし(借金もなし。笑)
・仕事なし
・たかだか4年ちょっとの海外経験

仮にこの条件で婚活サイトに登録したら、間違いなく絶望的な男もしくはただのやばいニートと判断されるでしょう。笑


でも不思議とその頃も不幸せと感じたことはありませんでした。
サッカーと一緒に何か目標に向かっていく前向きなエネルギーがあったかも知れませんが、日本では経験出来ない非日常体験が自分の人生観に大きな変化をもたらしたんだと思います。

なんとかなる。


好きなことを追求する道のりは、正直楽しいことより大変なことが圧倒的に多いはずです。でも壁にぶち当たっても「なんとかなるだろう」と。


今回のコロナウィルスも一見ピンチに直面しているかのようで、その後ろにはチャンスが隠れていると思っています。

そう思うと、この貴重な自粛期間も無駄にできない!と何かしらの行動に繋がるはずです。


今回このブログ企画は、スタッフ懇親会の勢いそのままに実施されましたが、結果、普段あまりコミュニケーションを取れないコーチの人物像や性格、思いなどを皆さんへお伝えする良い機会になったかなと思います。


最後おいしいところをサクッともっていき代表の貫録勝ちという思惑とは裏腹に、今日はネタが決まらずヒヤヒヤもんでしたが(笑)、何よりもこのような素晴らしいスタッフに恵まれた幸運に感謝したいと思います。
もちろん素敵な子供たちや保護者さんにもです!


今流行りのユーチューバーっぽく言わせていただくと、もしこのブログが楽しいと思った方は是非「いいね!」をよろしくお願いします(笑)


あっという間の自粛期間でしたが、暇つぶしにこのブログを覗いて楽しみいただいた皆様、ありがとうございました。


グラーナは明日より再開致しますがまだまだ予断を許さない状況下にあります。
1日も早く、コロナウィルスの騒動が収束に向かうこと、感染者が出ないこと、犠牲者が出ないことを心より願っております。


それではBis dann,Ciao,Ciao
Liebe Grüße mit vielen Herz
スソン

スソンコーチ、黒木コーチをはじめ、グラーナには相当の猛者たちが集っている。
私もその中の一員であることに必死に躍起になっている。
このクラブで存在し続けるためにはただのコーチであるだけではなく、何か強い武器を持ち合わせていなければならない。サイボーグ009よろしく、それぞれがそれぞれの個性に合わせた強さが必要なんです。

私の強さとは、戦う姿勢だと思っています。いつでもどこでも、戦う姿勢は保とうと心がけています。電車では女性が立っていれば私はどれだけ席が空いていようと座らない。お腹すいたとか、寒いとか、暑いとかも口にしないようにDNAにプログラミングされています。

そんな私の戦う代表的なエピソードに大学時代の話がありますので、皆さんの暇で暇でもう明日にはひまわりが頭に咲いちゃうよっていう子どもがいたら、是非これを読んで欲しい。戦うというのは、ピッチの中でだけ行われているわけではない。

私は大学生の頃、非常に勉強熱心だった。勉学を最優先とし、その他の一切のものが勉学より優先順位が上回ったことはない。いついかなる時も勉強勉強、寝るか勉強、俺の人生はそれだけだ、と思っていた。

そんな大学生活のある日、私はふと、その日ウンコが3日ほど出ていないことに気がついた。3日ほどと書いたのは、最後にしたのがいつだったのか思い出せないからだった。でも直近2日にはしていないのは確かだった。3日前だろうか、4日前だろうか。記憶は定かではない。さすがに5日はないだろう。まあ、今日ぐらいには出るだろうと気軽に考えていた。

1時間目の授業が終わった大学の授業は90分なので、終わったのが10時半頃だった。少しトイレに行こうかと思ったが、移動に忙しく、なんとなく、行くことができなかった。

2時間目。授業の途中でトイレに行きたくなった。でも我慢我慢。授業中だ。俺は大学に何をしに来てる?勉強だろ。こんなものちょっと我慢したらすぐだろう。お昼休みにトイレに籠るのは人の出入りが多いのであまり好まなかったが、仕方ない。そしてそんなことを考えている間に2時間目が終わり、トイレに行きたい気分もおさまってしまっていた。

お昼休みはそんな感じでなんとなく、トイレに行きたい気持ちは忘れて友達と楽しいランチタイムを過ごしてしまった。

そして3時間目。私は精神と時の部屋に入ることになる。授業が始まって20分ぐらいしてからだろうか、私はトイレに行きたくなった。『そうだった。トイレに行くのを忘れていた…』私は内心後悔した。しかし、幸いにも授業はスポーツ医学(整形外科)だったので、座って授業を受けていた。ジャンパー膝とか、股関節の先天的な病気に関することを学んでいる間にトイレのことはなんとなく忘れかけていった。しかし、また20分後、大きな便意がこみ上げてくる。ちょっと中座し、トイレに駆け込むことも一瞬脳裏を過ぎったが、私はいかんせん学生であった。しかも勉強熱心な。1にも2にも、34も5も、勉強だったのだ。トイレで授業をちょっと出る?そんな腸内マネジメントもできない野郎に選手のマネジメントなんてできるわけないだろう?そんないきりたった考えを持った私が、まさにトイレで授業を抜け出すなんてあり得ない。我慢我慢。1時間目も2時間目もできていた。我慢すればいい。ちょっとモジモジしてしまうが、しっかりお尻を椅子につけていれば、出てくることは絶対にあり得ない。物理的に無理だ。そう考えていた。すると便意は引っ込んだ。よーしよしよし。これでいい。さすがは俺だ。負けるわけにはいかない。こんなところで。

しかし、安心も束の間。次に便意がやってきたのはその数分後だった。しかもさっきよりも少し大きくなって帰ってきたのだ。『このやろう来やがったな。ただ、俺はお前には絶対負けない。』ここ辺りから私は授業内容など二の次三の次になり、全神経をおしりに集中させていたことに気付いていなかった。

見た目は平静を装っていた。誰も私を見ても体内でそんな戦いを繰り広げていることは知る由もないだろう。しかし、私は戦っていたのだ。室内は冷房がかかった夏の日だったが。私はうっすらと冷や汗をかきながら。平然と戦っていたのだった。

そして私はまた戦いに勝った。少し長くなったが、私は勝った。たしかに、便意はどこかに行っていた。私は負けず嫌いだった。授業はだいぶ進んでいて、ずいぶんノートがとれていなかったので、ペンを再度取った時だった。

あいつはすぐに帰ってきた。さっきボコボコにして追い返したところだったのに。たった1、2分で帰ってきた。しかもさっきよりも2倍?3倍になっていた。いや、こっちに来る間にもだんだんと大きくなっている。見てわかるほどだった。今もまさに成長している。少し私は大きめの深呼吸をして、机に突っ伏した。視覚情報も遮り、私は持ってる力を全てお尻に集中させていった。今回の敵は大きい。強い。それは姿が見えた瞬間にわかった。トイレに駆け込むどころか、最悪の事態もイメージできた。

いったいどれだけの時間戦ったのだろう。もう授業どころではない。何の授業だったかも忘れていた。私は突っ伏したまま体をよじりながら、肛門括約筋(こうもんかつやくきん)を最大限収縮させ、あいつが押し寄せようとするのを押さえていた。

『もう…だ……め……。かもしれない…』そう思ったのは、突っ伏して、全く動いていないはずの頭がグルングルンと大きく回しているかのような感覚に陥ったからだ。なんだこれは、初めての体験だった。本当に起き上がって、最大限頭をぶん回している。そんな感じだった。私は必死にそれに着いていきながら、何が起きているのか分からないまま、だけど、肛門括約筋だけは死守していた。

次の瞬間だった。僕の後ろに座っていた後輩(その授業は前年に落とした単位だったので)が大きな声で「先生!人が倒れてます!」と、うすら笑いを浮かべながらで言っているのだ。そんな大きな声で何を言っているのだと思い目を開けると。私はなぜか教室の通路に横たわっていた。「???」一瞬何が起きているかわからなかった。しかし、すぐに気付いた。倒れたのは自分だったのだと。気を失うまで俺は我慢したのだと。そしてその次の瞬間に私は一瞬血の気が引いた。

『うんこがもれた!!!』

さりげなく、バレないようにズボンの上からお尻をさわる。そこには何もない。あるのは綿の優しい肌触りだけだった。

私は勝った。気を失っても戦うことは止めなかった。気を失っても戦い続けたのだ。無意識に。あるすごい侍は目的地に向かう途中に殺されたが、そこから半死半生の状態で数メートル目的地に向かっていたそうだ。血の後は体を引きずりながら殺された場所から数メートル目的地に続いていたそうだ。

話は戻る。私はすっくと立ち上がり、必死に平静を装いながら。真剣な顔つきで中断された授業の中、後輩200名に見つめられながら、看護師と一緒に授業を抜けてトイレに行った。女性看護師が持ってきた担架が無駄になったことは言うまでもない。

侍は勝ったときに安易に喜ばない。敗者に対するリスペクトがあるからだ。相手がいたことで、自分は強くなることができたのだ。この経験が私を強く、太くする。強者は金棒を振り回さない。

私は今グラーナで子どもたちに戦うことを伝えている。侍の世界では負けることは死ぬことを意味する。
サッカーも、もともとはそうだった。生きるか死ぬか。自分たちの心臓を差し出してそれを取り合う。それがサッカーの本質だと私は思っている。目の前のプレーを全身全霊で勝ちにいかなければその選手に先はない。

サッカー選手はピッチの中だけでは育たない。むしろ長い時間を過ごすピッチの外で差が生じる。休むことは必要だが、「戦いの焔(ほのお)」をいつだって寝てる時だって絶やしてはいけない。



”あいつ”はいつ来るかわからないから。





毎週木曜日にトレーナーとして働いている土屋です。
ブログを書くという習慣がないので、何を書くか迷いましたが、自分が今まで自分なりに歩んできて感じた事を書こうと思います。

20代前半何かの目的があって海外に行ったのでは無く、外国に行くと何だか、かっこいいという憧れので気持ちで海外にバックパックに行った。
どうせ行くなら、色々な国を回る方が楽しいかな、と思い数カ国回る計画でパックパックにいざ出発。
今考えると恐ろしい事ですが、語学は全く出来ない状況で、英語圏、スペイン語圏の国に、3ヶ月行く予定を組んで、アルバイトで貯めた30万円の所持金でバックパックに望んだ。本当に今考えると恐ろしい…若さと無知は最強だね。

生まれて初めての外国への入国はロンドン。英語も出来ない中でのロンドンの生活は6日間だったが、その頃のレートは

1ポンド 250円で、マクドナルドの
1番安いセット( ハンバーガー・ポテト・コーラ )  が、何と! 5ポンド。日本円で1250円。あまりの高さに、その場では飲み物のみをオーダー。笑

このままイギリスに居ると他の国は回れないと焦って…その頃物価が1番安いと聞いていたスペインに即座に行先を変更。
スペインは、元々、巡礼の道を歩きたいと思って、最初に行きたいと思っていた国リストに入っていたので変更を決める事には何の抵抗もなかったのだが、またまた困った事が…そう!言葉。スペインはもちろんスペイン語。英語が、ほんの少しだけ話せる様になっていたが、当時のスペインでは英語がほぼ通じず…スペイン語での会話なのに、スペイン語は全く分からない。本当に…前途多難な旅が始まった。

スペインは、治安もあまり良くなく
スリが多発していたので…言葉も出来
ず毎日襲われないかと、必死で身を守る方法を考えた結果、トイレにこもりトイレの中で過ごす時間が多かった。笑
言葉のツールがなく、心からの意思疎通が誰とも取れず孤独との闘いが本当に辛かった。今は笑い話だけどね。
そんな旅の始まりで、海外恐怖症になってもおかしくなかった自分が、スペインに語学留学をしたり、海外の友人が出来て日本に来た時に日本を案内したり、
今も、旅を楽しめているのは、知らない土地で言葉が分からない自分に話しかけてコミュニケーションを取ってきてくれた、旅先で知り合ったチリ人の友人のおかげだ。

トイレにこもっていた日々から一転、
あの時の話しかけてくれた友人の優しさのおかげで、言葉は出来なくてもジェスチャーや片言の言葉で意思疎通をしようと自分から色々な人に話す様になった。
片言の下手くそな言葉でも、海外で知り合った人はみんな優しくこちらが何を言おうとしているのかと必死で耳を傾けて理解しようとしてくれた。
その優しさに触れた時から、もっとスムーズに、もっと自分の言いたい事をスムーズに相手に伝えられる様に、海外の人達と楽しくコミュニケーションを取りたい一心で語学勉強を楽しんだ。

僕はサッカーが好きでサッカーをずっとやり続けたかったが、怪我をしてその夢を諦めた。きっと怪我をしても諦めずにサッカーをし続ける事も出来たはずだけど、あの頃は諦めてしまった。
スペインでは、普通には大きな公園で 大人、子供、国関係なく…サッカー好きが夕方の決まった時間に自然と集まり、2チームに分かれて試合をして、サッカーを楽しんでいた。僕も何度もその公園に足を運び仲間に入れてもらい、サッカーを楽しんでいた。

やはりサッカーが好きで、その気持ちを持ち続けていたから、今違う形だけれどもサッカーを通してみんなと関わる事が出来ている。
色々な経験をして、僕が学んだ事は

「夢とは運でもなく、実力でもなく 誰にでも実現できる事」

なんだと言うこと。
サッカーをし続けて、どこかのチームでサッカー選手として活躍したいという夢は、途中で諦めてしまったから実現出来なかったけど、語学が全く出来ない僕が、英語、スペイン語でそれぞれの土地の人達とコミュニケーションを取れる様になったのは、やはり話したいという気持ちから話せる様になりたいという夢を諦めなかったから実現した。

沢山の失敗を経験し、様々な逆境の中で僕げ見つけた確信、それは…言い訳する心をなくせば、「人はいつでもどこからでもやり直せる」という事。
僕たちの心を惑わすものが この世には沢山ある事は事実。

でも、正しい目で判断し、正しい事を実行していれば、自分が求めて
いなくても成果は必ず向こうからやってくると…僕は自分の経験からそう思う。

自分はできる!どんな時でもやり直せるんだ!と強く強く思って下さい。
必ずその強い意識か自分を助ける最高の宝になると思います。



みなさん、こんにちは!!!
昨年、1年間アシスタントコーチとして関わらせていただきました、りょーじです。


子どもたちは、まさに晴天の霹靂?(合ってるかどうか定かではないです)と言えるこの休みをどのように過ごしていますか?
きっと暇を持て余して、
家で暴れてお父さんお母さんに怒られていることでしょう。
くれぐれも家の中でボールを蹴って壁に穴を開けたり、
家の前でボールを蹴って窓ガラスを割ることだけはやめましょう。

しかし、最近はこんなことも思っています。
子どもなんだから…
壁ひとつ開けたっていいじゃないか。
家の窓ガラス割ったっていいじゃないか。
子どもの仕事は、思いっきり遊ぶこと、そして思いっきり大人に迷惑をかけて学ぶこと。
まだまだ20歳のガキが何を言っているんだ!となるかと思いますが、
楽観的にそんなふうに私は考えてしまいます。笑

例えが強引だったかもしれませんが、“本能のままに行動すべし!”ということです。笑
そして怒られたり、失敗したり、嫌な思いをしてちょっとずつ成長していってもらいたいと思います。

今はまだ、子どもと大人の関係かもしれません。
ですが、あと10年すれば立場に違いは年齢以外ないと思います。
プロサッカー選手は、18歳のルーキーが53歳とJ1のピッチでバチバチになることが現実起きています。
10歳程度の差なんか関係ですよね。
私も今は指導者として向き合っていますが、呑気にしていればあっという間に追い抜かれることでしょう。
いつか、今関わっている子どもたちとトップの土俵で一緒に仕事が出来ればいいな。一緒に喜びを共有し美味しいお酒が飲みたいな。なんて思っていたりします。笑

そのためには今から、このブログを書き終わってすぐに、行動しないといけないと思います。

文章力皆無の少し真面目な話にはなりましたが、
皆さん、お身体には充分お気をつけください。
そしてあと数ヶ月続くであろう、コロナウイルスと真っ向勝負挑みましょう!!!
是非、活動再開したときに休止中の面白いエピソードをお聞かせください。
それではグランドでお会いしましょう!
楽しみにしております!

こんばんは。さぁ私は誰でしょう?

おっと、、、幼すぎましたね、、、これは小1のときの写真です。
私は赤いポルトガル代表のユニフォームを着ていますね。ちなみに、左にいるのは皆さんがよく知っている人ですよ。

これならどうでしょうか? まだ分らない人も多いですよね(笑)

前置きが長くなって申し訳ございません!先月から金曜スクールでコーチをさせていただいている小林秀聡(ひでとし)です。ちなみに写真の隣にいる人は、“ベスト・ファーザー賞”受賞が将来期待される、りょーじコーチです。彼とは幼稚園小学校中学校と同じチームでプレーしてきました。ちなみに、小学校の時にご指導を仰いでいたのが梁コーチというわけでして、今の職場に至りました。なので、梁コーチからご指導いただいていた観点から考えると、私はグラーナの子たちの“先輩”ということになります。

そんな自称“グラーナの子たちの先輩”の私がブログに書こうと思うのは、“ノンフィクション・男子校ライフ“。えっ、サッカーの話ではないのですか?という声が今にも聞こえてきそうですが、進路の一つとして参考にしてみてください。

私が通っていたのは、本郷中学校・本郷高校。中高一貫の男子校です。2018年度の文部科学省の調査によると、全国に高校は約5000校あり、そのうち男子校は107校。たったの2.2%です。昨今男子校の共学化が行われているようなので、その数は減少の一途を辿っており、ユネスコ無形文化遺産の登録が望まれる限りであります。

そんな男子校生活、一言でまとめると“学校・グランド・家の往復”。学校では記憶にも残らないくだらない話を、グランドではひたすら駆け回り、家では少し勉強。

練習ではスライディング50m×2というメニューもありまして(泣)

実際にご覧になりたい方は、私までお申し付けください。

メリットと言えば、女性の方がいないので邪念がなく、サッカーや勉強に集中できたことです。特に、マネージャーがいる共学の高校が対戦相手だったときは、目に血が走るくらい闘争心を燃やしていたことをよく覚えています。

デメリットと言えば、やはり甘酸っぱい青春の思い出を作れないことでしょうか(笑)

ですが、それ以上に楽しく充実した学校生活でした。一人一人がありのままで自分のカラーを出せる場所であり、周りから偏見の目が向けられることはありません。いろいろな価値観を吸収し、考えが豊かになります。

男子校気になるという方はぜひ小林まで尋ねてくださいね!

これからよろしくお願いします!!

小林秀聡