毎週木曜日にトレーナーとして働いている土屋です。
ブログを書くという習慣がないので、何を書くか迷いましたが、自分が今まで自分なりに歩んできて感じた事を書こうと思います。

20代前半何かの目的があって海外に行ったのでは無く、外国に行くと何だか、かっこいいという憧れので気持ちで海外にバックパックに行った。
どうせ行くなら、色々な国を回る方が楽しいかな、と思い数カ国回る計画でパックパックにいざ出発。
今考えると恐ろしい事ですが、語学は全く出来ない状況で、英語圏、スペイン語圏の国に、3ヶ月行く予定を組んで、アルバイトで貯めた30万円の所持金でバックパックに望んだ。本当に今考えると恐ろしい…若さと無知は最強だね。

生まれて初めての外国への入国はロンドン。英語も出来ない中でのロンドンの生活は6日間だったが、その頃のレートは

1ポンド 250円で、マクドナルドの
1番安いセット( ハンバーガー・ポテト・コーラ )  が、何と! 5ポンド。日本円で1250円。あまりの高さに、その場では飲み物のみをオーダー。笑

このままイギリスに居ると他の国は回れないと焦って…その頃物価が1番安いと聞いていたスペインに即座に行先を変更。
スペインは、元々、巡礼の道を歩きたいと思って、最初に行きたいと思っていた国リストに入っていたので変更を決める事には何の抵抗もなかったのだが、またまた困った事が…そう!言葉。スペインはもちろんスペイン語。英語が、ほんの少しだけ話せる様になっていたが、当時のスペインでは英語がほぼ通じず…スペイン語での会話なのに、スペイン語は全く分からない。本当に…前途多難な旅が始まった。

スペインは、治安もあまり良くなく
スリが多発していたので…言葉も出来
ず毎日襲われないかと、必死で身を守る方法を考えた結果、トイレにこもりトイレの中で過ごす時間が多かった。笑
言葉のツールがなく、心からの意思疎通が誰とも取れず孤独との闘いが本当に辛かった。今は笑い話だけどね。
そんな旅の始まりで、海外恐怖症になってもおかしくなかった自分が、スペインに語学留学をしたり、海外の友人が出来て日本に来た時に日本を案内したり、
今も、旅を楽しめているのは、知らない土地で言葉が分からない自分に話しかけてコミュニケーションを取ってきてくれた、旅先で知り合ったチリ人の友人のおかげだ。

トイレにこもっていた日々から一転、
あの時の話しかけてくれた友人の優しさのおかげで、言葉は出来なくてもジェスチャーや片言の言葉で意思疎通をしようと自分から色々な人に話す様になった。
片言の下手くそな言葉でも、海外で知り合った人はみんな優しくこちらが何を言おうとしているのかと必死で耳を傾けて理解しようとしてくれた。
その優しさに触れた時から、もっとスムーズに、もっと自分の言いたい事をスムーズに相手に伝えられる様に、海外の人達と楽しくコミュニケーションを取りたい一心で語学勉強を楽しんだ。

僕はサッカーが好きでサッカーをずっとやり続けたかったが、怪我をしてその夢を諦めた。きっと怪我をしても諦めずにサッカーをし続ける事も出来たはずだけど、あの頃は諦めてしまった。
スペインでは、普通には大きな公園で 大人、子供、国関係なく…サッカー好きが夕方の決まった時間に自然と集まり、2チームに分かれて試合をして、サッカーを楽しんでいた。僕も何度もその公園に足を運び仲間に入れてもらい、サッカーを楽しんでいた。

やはりサッカーが好きで、その気持ちを持ち続けていたから、今違う形だけれどもサッカーを通してみんなと関わる事が出来ている。
色々な経験をして、僕が学んだ事は

「夢とは運でもなく、実力でもなく 誰にでも実現できる事」

なんだと言うこと。
サッカーをし続けて、どこかのチームでサッカー選手として活躍したいという夢は、途中で諦めてしまったから実現出来なかったけど、語学が全く出来ない僕が、英語、スペイン語でそれぞれの土地の人達とコミュニケーションを取れる様になったのは、やはり話したいという気持ちから話せる様になりたいという夢を諦めなかったから実現した。

沢山の失敗を経験し、様々な逆境の中で僕げ見つけた確信、それは…言い訳する心をなくせば、「人はいつでもどこからでもやり直せる」という事。
僕たちの心を惑わすものが この世には沢山ある事は事実。

でも、正しい目で判断し、正しい事を実行していれば、自分が求めて
いなくても成果は必ず向こうからやってくると…僕は自分の経験からそう思う。

自分はできる!どんな時でもやり直せるんだ!と強く強く思って下さい。
必ずその強い意識か自分を助ける最高の宝になると思います。