スソンコーチ、黒木コーチをはじめ、グラーナには相当の猛者たちが集っている。
私もその中の一員であることに必死に躍起になっている。
このクラブで存在し続けるためにはただのコーチであるだけではなく、何か強い武器を持ち合わせていなければならない。サイボーグ009よろしく、それぞれがそれぞれの個性に合わせた強さが必要なんです。
私の強さとは、戦う姿勢だと思っています。いつでもどこでも、戦う姿勢は保とうと心がけています。電車では女性が立っていれば私はどれだけ席が空いていようと座らない。お腹すいたとか、寒いとか、暑いとかも口にしないようにDNAにプログラミングされています。
そんな私の戦う代表的なエピソードに大学時代の話がありますので、皆さんの暇で暇でもう明日にはひまわりが頭に咲いちゃうよっていう子どもがいたら、是非これを読んで欲しい。戦うというのは、ピッチの中でだけ行われているわけではない。
私は大学生の頃、非常に勉強熱心だった。勉学を最優先とし、その他の一切のものが勉学より優先順位が上回ったことはない。いついかなる時も勉強勉強、寝るか勉強、俺の人生はそれだけだ、と思っていた。
そんな大学生活のある日、私はふと、その日ウンコが3日ほど出ていないことに気がついた。3日ほどと書いたのは、最後にしたのがいつだったのか思い出せないからだった。でも直近2日にはしていないのは確かだった。3日前だろうか、4日前だろうか。記憶は定かではない。さすがに5日はないだろう。まあ、今日ぐらいには出るだろうと気軽に考えていた。
1時間目の授業が終わった大学の授業は90分なので、終わったのが10時半頃だった。少しトイレに行こうかと思ったが、移動に忙しく、なんとなく、行くことができなかった。
2時間目。授業の途中でトイレに行きたくなった。でも我慢我慢。授業中だ。俺は大学に何をしに来てる?勉強だろ。こんなものちょっと我慢したらすぐだろう。お昼休みにトイレに籠るのは人の出入りが多いのであまり好まなかったが、仕方ない。そしてそんなことを考えている間に2時間目が終わり、トイレに行きたい気分もおさまってしまっていた。
お昼休みはそんな感じでなんとなく、トイレに行きたい気持ちは忘れて友達と楽しいランチタイムを過ごしてしまった。
そして3時間目。私は精神と時の部屋に入ることになる。授業が始まって20分ぐらいしてからだろうか、私はトイレに行きたくなった。『そうだった。トイレに行くのを忘れていた…』私は内心後悔した。しかし、幸いにも授業はスポーツ医学(整形外科)だったので、座って授業を受けていた。ジャンパー膝とか、股関節の先天的な病気に関することを学んでいる間にトイレのことはなんとなく忘れかけていった。しかし、また20分後、大きな便意がこみ上げてくる。ちょっと中座し、トイレに駆け込むことも一瞬脳裏を過ぎったが、私はいかんせん学生であった。しかも勉強熱心な。1にも2にも、34も5も、勉強だったのだ。トイレで授業をちょっと出る?そんな腸内マネジメントもできない野郎に選手のマネジメントなんてできるわけないだろう?そんないきりたった考えを持った私が、まさにトイレで授業を抜け出すなんてあり得ない。我慢我慢。1時間目も2時間目もできていた。我慢すればいい。ちょっとモジモジしてしまうが、しっかりお尻を椅子につけていれば、出てくることは絶対にあり得ない。物理的に無理だ。そう考えていた。すると便意は引っ込んだ。よーしよしよし。これでいい。さすがは俺だ。負けるわけにはいかない。こんなところで。
しかし、安心も束の間。次に便意がやってきたのはその数分後だった。しかもさっきよりも少し大きくなって帰ってきたのだ。『このやろう来やがったな。ただ、俺はお前には絶対負けない。』ここ辺りから私は授業内容など二の次三の次になり、全神経をおしりに集中させていたことに気付いていなかった。
見た目は平静を装っていた。誰も私を見ても体内でそんな戦いを繰り広げていることは知る由もないだろう。しかし、私は戦っていたのだ。室内は冷房がかかった夏の日だったが。私はうっすらと冷や汗をかきながら。平然と戦っていたのだった。
そして私はまた戦いに勝った。少し長くなったが、私は勝った。たしかに、便意はどこかに行っていた。私は負けず嫌いだった。授業はだいぶ進んでいて、ずいぶんノートがとれていなかったので、ペンを再度取った時だった。
あいつはすぐに帰ってきた。さっきボコボコにして追い返したところだったのに。たった1、2分で帰ってきた。しかもさっきよりも2倍?3倍になっていた。いや、こっちに来る間にもだんだんと大きくなっている。見てわかるほどだった。今もまさに成長している。少し私は大きめの深呼吸をして、机に突っ伏した。視覚情報も遮り、私は持ってる力を全てお尻に集中させていった。今回の敵は大きい。強い。それは姿が見えた瞬間にわかった。トイレに駆け込むどころか、最悪の事態もイメージできた。
いったいどれだけの時間戦ったのだろう。もう授業どころではない。何の授業だったかも忘れていた。私は突っ伏したまま体をよじりながら、肛門括約筋(こうもんかつやくきん)を最大限収縮させ、あいつが押し寄せようとするのを押さえていた。
『もう…だ……め……。かもしれない…』そう思ったのは、突っ伏して、全く動いていないはずの頭がグルングルンと大きく回しているかのような感覚に陥ったからだ。なんだこれは、初めての体験だった。本当に起き上がって、最大限頭をぶん回している。そんな感じだった。私は必死にそれに着いていきながら、何が起きているのか分からないまま、だけど、肛門括約筋だけは死守していた。
次の瞬間だった。僕の後ろに座っていた後輩(その授業は前年に落とした単位だったので)が大きな声で「先生!人が倒れてます!」と、うすら笑いを浮かべながらで言っているのだ。そんな大きな声で何を言っているのだと思い目を開けると。私はなぜか教室の通路に横たわっていた。「???」一瞬何が起きているかわからなかった。しかし、すぐに気付いた。倒れたのは自分だったのだと。気を失うまで俺は我慢したのだと。そしてその次の瞬間に私は一瞬血の気が引いた。
『うんこがもれた!!!』
さりげなく、バレないようにズボンの上からお尻をさわる。そこには何もない。あるのは綿の優しい肌触りだけだった。
私は勝った。気を失っても戦うことは止めなかった。気を失っても戦い続けたのだ。無意識に。あるすごい侍は目的地に向かう途中に殺されたが、そこから半死半生の状態で数メートル目的地に向かっていたそうだ。血の後は体を引きずりながら殺された場所から数メートル目的地に続いていたそうだ。
話は戻る。私はすっくと立ち上がり、必死に平静を装いながら。真剣な顔つきで中断された授業の中、後輩200名に見つめられながら、看護師と一緒に授業を抜けてトイレに行った。女性看護師が持ってきた担架が無駄になったことは言うまでもない。
侍は勝ったときに安易に喜ばない。敗者に対するリスペクトがあるからだ。相手がいたことで、自分は強くなることができたのだ。この経験が私を強く、太くする。強者は金棒を振り回さない。
私は今グラーナで子どもたちに戦うことを伝えている。侍の世界では負けることは死ぬことを意味する。
サッカーも、もともとはそうだった。生きるか死ぬか。自分たちの心臓を差し出してそれを取り合う。それがサッカーの本質だと私は思っている。目の前のプレーを全身全霊で勝ちにいかなければその選手に先はない。
サッカー選手はピッチの中だけでは育たない。むしろ長い時間を過ごすピッチの外で差が生じる。休むことは必要だが、「戦いの焔(ほのお)」をいつだって寝てる時だって絶やしてはいけない。
”あいつ”はいつ来るかわからないから。
完
【ブログ】侍は、戦いの焔を絶やさない
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